法華経15(4/4)
如来寿量品「自我偈」

※できる限り仏教専門用語訳を排して訳してみた。宗教・哲学的な意味はまったく考えていない。

♪ 賢者たちよ、ここに疑いを抱くな。疑いを残らず捨てよ。
私は真実の言葉を話す。私の言葉はいつでも偽ったものではありえない。巧妙な方法を学んだかの医師が、意識の転倒した息子たちのために、生きている自分を死んだと言っても、賢者はその医者を偽っていると断定はしないようなものである。
まさにそのように、私は世界の父であり、他に依存しないものであり、すべての人々の医者であり守護者である。
そして意識の転倒した愚者たちを、このたとえ話の子供のようにみなして、消えていないのに消えたかのように見せている。どうしてかというと、私にいつも会っていると、平然としてしまい、賢くなく、無知なものになり、信頼しきって、愛欲に無頓着になり、その不注意のために地獄に落ちるからだ。
私は常に衆生たちの行為を知って、それに従って衆生たちに語る。
「まことに、いかにして覚りに近づかせるか、いかにして仏の教えの獲得があるだろうか」と。

以上、『白蓮の花のような正しい教え』という教えの文章における、「如来の寿命の尺度」章という名の第15章。


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