法華経15(3/4)
如来寿量品「自我偈」

※できる限り仏教専門用語訳を排して訳してみた。宗教・哲学的な意味はまったく考えていない。

♪そしてその仏の土地の上では神々が楽器をたたき、雨のようにマンダーラの花を散らしている。特に私に、声聞たちに、そしてここで覚りの状態にある賢人たちに注いでいる。
そして私のこの土地はいつでもこのような状態であるのだが、他の人々はこの世界を焼かれていると思っている。衆生はこの世界の要素を、非常に恐るべきもの、苦しめられたもの、百の悲しみに満たされたものと見る。そして衆生は何千万カルパもの間、私や他の如来たちの名前を全然聞かない。教えについても、あるいは私の僧団についても聞かない。そしてそれもまた、罪の行為のたぐいの結果なのだ。
しかし、優しくて温和な衆生たちがここ人間世界に生まれたときには、温和な衆生は美しい行為の結果によって生まれるやいなや、私が教えを示しているのを見る。そして私はいつでも、これらの私の仕事がこのように最も優れているということを、彼らに語ったことはない。それで、久しぶりに私を見る人には、私は言う。「勝利者(仏)は非常に得がたい」と。
私のこの輝かしい知力はこのようであって、その知力にはいかなる限界もない。そして私の寿命は長く、無限カルパであり、かつて修行を実行して得られたものである。

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