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ウルドゥー語/ヒンディー語とは?

Since 2004/4/11 Last Updated 2006/7/30

 ウルドゥー語とは何ぞや? ヒンディー語とは何ぞや? こういう概説を書けるほど私は学識はありません。そういうのはいろんな本におまかせして、ここではFAQ(よくある質問)集という形で簡単に書いてみます。


  1. ウルドゥー語とは何ですか?
     ウルドゥーというのは国や地域や民族の名前ではなく、「シャー・ジャハーンの都(=デリーの異称)の高貴な軍営の言葉」という表現の「軍営」の部分に相当することばです。
     このことからわかるようにインドのデリーあたりを故郷とする民衆語ですが、北インドが長らくペルシア語を公用語とするイスラム王朝の支配下にあったため、多数のペルシア語語彙が混入し、またペルシア語にアラビア語の語彙が多数混じっているため、ペルシア語を経由したアラビア語の語彙も混じり、少数ですがトルコ語の語彙も混じる(なにしろ「ウルドゥー」(軍営)という語自体がもともとトルコ語です)など、非常に出自のバラエティに富んだ混成言語です。
     地域的にはデリーあたりの言葉なのですが、イスラム教徒の言語であるという認識が強く、今ではインドの西隣のパキスタンの国語になっています。またインドでも憲法の附則に記された18種の重要な言語のうちの一つになっています。インドの紙幣にはさまざまな言語が書かれているというのが有名ですが、ウルドゥー語もちゃんと記されています。
     文字はアラビア文字を用い、しかもナスターリーク体と呼ばれる流れるような書体で書きます。もちろんふつうのアラビア文字(ナスフ体など)で書いてもいいんですが、パキスタンでもインドでも、ウルドゥー語はナスターリーク体で書かれるものという伝統が強固です。ナスターリーク体は文字が上下に踊って非常に読みにくいのですが、特有の魅力というか毒があるので、なれてくると、ナスフ体で書かれたウルドゥー語には、物足りなさや違和感を覚えるようになります。
     ナスターリーク体は日本でいえば江戸時代のくずし字のようなところがあり、活字に向かないので、最近まで新聞も雑誌も含めておよそあらゆる印刷物は、手書きの文字をそのまま製版していました。今ではコンピュータできれいなナスターリーク体が出せるようになりました(反面、版下作りに携わっていた大量の能書家たちが失業し、技術が途絶えるかもという問題が発生しているようです)。WEBサイトでは、文字コードを用いず、コンピュータソフトで出力したナスターリーク体の文字を画像ファイルの形で表示するのが普通です。うちのサイトでもそうしています。




  2. ヒンディー語とは何ですか?
     インドのデリーあたりを故郷とする民衆語ですが、こちらはヒンドゥー教徒(イスラム教徒以外の人)が用いている言語です。
     なお、時々「ヒンドゥー語」と言っている人がいますが、それは間違いです。宗教名、民族名のときは「ヒンドゥー(ヒンズー)」、言語名のときは「ヒンディー」です。
     北インドは長らくムガル王朝などイスラム王朝の支配下にあったため、ウルドゥー語のほうが勢力が強く、ようやく英国統治下になってヒンディー語がウルドゥー語と肩を並べるようになり、独立後はライバルのパキスタンがウルドゥー語を国語として採用したのでインドではヒンディー語が優位になりました。
     ウルドゥー語に比べて、アラビア語やペルシア語の語彙を排除してサンスクリットなどインドの伝統的な言語からの借用語彙を用いる傾向がありますが、これはウルドゥー語への対抗意識で意図的にそうしているところがあります。日本語でいえば、「カタカナ言葉を使わず漢字語を使おう」という運動みたいなものです。しかしカタカナ言葉がなかなか排除できないように、いまだにペルシア語やアラビア語の語彙は相当混じっています。むしろ民衆のレベルではペルシア語語彙のほうがなじみがあるかもしれません。民衆の口語のレベルでは、ウルドゥー語もヒンディー語もあまりかわらないというのが実情です。ウルドゥー語をしゃべってるつもりの日本人が「お前のヒンディー語はうまいね、とインド人に言われた」という笑い話はよくあります。
     インドの憲法の附則には18種の重要な言語が記されていますが、ヒンディー語は連邦公用語にもなっている点で、他の言語より優位に立っており、ヒンディー語を母語としない人でも、母語とは別にヒンディー語を話す人は珍しくありません。



  3. ウルドゥー語とヒンディー語は同じ言語なんですか?
     ある言語とある言語が同じかどうかは言語学の判断する事項ではなく、文化と政治、とくに政治が大きくかかわってきます。B国がA国から独立すると、それまでA語の方言だとみなされていたBの言葉が全く異なる言語「B語」とみなされることなど珍しくありません。
     私は、ウルドゥー語とヒンディー語は同じ言語だと思っていますが、これはあくまで私の認識であるにすぎません。共通点は……
    1. どちらもデリーを故郷とする北インドの言語である。
    2. 文法は原則同じ、また基本的に日常語彙はどちらも共通である。
    3. 宗教的・政治的な歴史の経緯によって、ほとんど全インド的に広まっており、異なる母語の人でも話すことができる。
    4. インドやパキスタンにおいて、異なる母語を話す人の間の連絡言語になっている。
    逆に、違いをまとめておくと……
    1. 話し手……ウルドゥー語はイスラム教徒、ヒンディー語はヒンドゥー教徒など非イスラム教徒が用いる(とされている)。
    2. 文字……ウルドゥー語はペルシア文字(アラビア文字のナスターリーク体)を、ヒンディー語はデーヴァナーガリー文字を用いる。
    3. 語彙……ウルドゥー語はペルシア語やアラビア語の語彙がかなり混じっているが、ヒンディー語はできるだけそれらを排してサンスクリットなどからの借用語に代替しようという志向がある(が、それでもペルシア語語彙は多い)。このような語彙は主に学問語など高級語彙なので、高度な内容になればなるほど、ウルドゥー語とヒンディー語の差は増してくる。
    4. 挨拶……逆に日常語彙は共通なのだが、挨拶の言葉は宗教にからんでくるので、全く違う。
    5. 文法……原則共通なのだが、たまに、ヒンディー語では男性名詞だがウルドゥー語では女性名詞扱い、などという違いもあったりするので要注意。
     SF的なたとえをするなら、もし日本が長いことイギリスの植民地だったとして、その間に日本語はローマ字書きになり、膨大な英語語彙が外来語として入り(それらは日本語化されずに英語のスペルそのままで書かれる)、英語なみに単数・複数を使いわけるようになったとする(いまの日本語にも「チャイルド・ショック」「ストリート・チルドレン」のように英語の不規則複数がそのまま入ってる場合がありますもんね)。で、何かのキッカケで西日本が独立をする。独立した西日本では漢字とカナを用い、意図的に英語由来語彙を排除し、漢字語をたくさん使うようになった……。これが、ウルドゥー語とヒンディー語の違いといえるかもしれません。
     ウルドゥー語とヒンディー語が本質的には同じ言語であることからできる、面白い試みが一つあります。大学書林から『実用ヒンディー語会話』という本が出ていますが、これは実は同じ大学書林から出ている『実用ウルドゥー語会話』と、意図的に例文を同じにしています。ただし『実用ウルドゥー語会話』の例文中、パキスタンを場面にしたものをインドに差し替えている点が違うほか、上記に書いたような挨拶や語彙の相違があります。章だてはもちろんのことページ数や文の順序にいたるまでピッタリと一致するので、両者を比較すると、ウルドゥー語とヒンディー語のどこが同じでどこが違うのかが、具体的によくわかって面白いでしょう。



  4. ヒンディー語はサンスクリットとは違う言語なのですか?
     上述のように、2つの言語が同じか違うか、違うとすればどのくらい違うのかを測定するのはかなり困難なのですが……。
     サンスクリットはインドの古典語、ヒンディー語は現代語なので、いわば「古文と現代文」ということになります。が、日本語の古文は、チンプンカンプンかもしれませんが、現代日本語と別の言語ではありません。しかし、サンスクリットとヒンディー語はまるきり違う言語です。もちろん、同じインド・ヨーロッパ語族に属するので、似ている部分もなくはないですが、それ以上のものではありません。文法から語彙からはなはだしい違いがあります。
     まず文法は、サンスクリットがラテン語や古典ギリシア語以上に複雑な語形変化をするのに対し、ヒンディー語は英語なみに簡単な語形変化しかしません。
     語彙については、もともとのヒンディー語の語彙はサンスクリットなど古代インド語に由来するのでしょうが、一見比較すると同じとはとても思えないほどに変化してしまっているのが普通です。もしヒンディー語の語彙の中にサンスクリットと非常に似た語があるとすれば、それはたいてい、比較的近い過去に外来語としてヒンディー語に取り入れられたサンスクリットの語彙です。しかもこれらのサンスクリット語彙は、ちょうどわれわれが漢字語を堅苦しく感じるのと同様あるいはそれ以上に、一般にはなじみの薄い言葉です。上述のようにペルシア語やアラビア語由来の語彙がヒンディー語には相当多数混入しており、しかもそちらのほうが日常的だったりします。
     一般に、一つの言語を習得すると、それと似ている言語を習得するのは非常にラクです。たとえばサンスクリットを勉強した人にはパーリ語、ヒンディー語を勉強した人にはパンジャービー語などの勉強はラクでしょう。しかし、サンスクリットを知ってるからといってヒンディー語の習得はラクとはいえないし、その逆もまた真なり。まるきり違う言語をハナから勉強するような労力が必要だ、ということは、ハッキリ書いておきましょう。
     よく、「ヒンディー語を勉強するにはサンスクリットをやっておいたほうがいいですか」あるいはその逆の質問を時々受けます。現代ヒンディー語には学問・文化的語彙方面でサンスクリットからの借用語が膨大に入っており、サンスクリットを知っているとこの手の語彙の意味がすぐわかるので便利です。その意味ではサンスクリットをやっておいたほうがいいのかもしれません。が、わざわざサンスクリットから始める必要はありません。サンスクリットの勉強に時間を割くくらいならそういう借用語の意味をそのまま覚えてしまったほうがはるかに早いです。英単語には膨大なラテン語や古典ギリシア語からの借用語がありますが、だからといって英語の勉強をするに先立ってラテン語や古典ギリシア語から始める人は絶無でしょう。もちろん英語の勉強を深めるためにラテン語や古典ギリシア語をやる人はいますが、絶対必要なこととはいえません。それと同じです。
     ましてこの逆に「サンスクリットを勉強するためにまずヒンディー語を…」は、はっきりいってNOです。ヒンディー語とサンスクリットの共通語彙は学問・文化的語彙方面のみ。しかもそれはヒンディー語側が意図的にサンスクリットの語彙を取り入れたので、似ていて当たり前。ちょうど鏡で自分の姿を見ているようなものです。さらにヒンディー語の日常語彙はサンスクリットとかなり違う上、ペルシア語やアラビア語の借用語がいっぱい入っています。こんなものを勉強するヒマがあったらサンスクリットに集中すべきです。
     要するに、サンスクリットとヒンディー語と両方必要な人は両方やればいいというだけの話で、一方の勉強を深めるために他方を勉強すべきであるということは全くありません。



  5. ヒンドスターニー語とは何ですか?
     狭い意味では、「ヒンドスタン地方の言葉」つまり北インドの言葉という意味。ウルドゥー語が一時期南インドのデカン高原のイスラム王朝で文学的に洗練された時期があったので、そういう南インドのウルドゥー語と対比して、もとの北インド地方の方言という意味で使うこともあります。
     が、広い意味では、諸方言を含めたウルドゥー語やヒンディー語の別称として使います。19世紀に英国でウルドゥー語やヒンディー語の研究が盛んになりますが、そういう学者たちの作った文法書や辞書では「ウルドゥー語またはヒンドスターニー語」などと書かれていたりします。
     さらには、ウルドゥー語とヒンディー語を積極的に統合した形の言語の名前として使われることがあります。20世紀前半にインドの独立運動が盛んになるにつれ、M.ガンディーはこの意味のヒンドスターニー語を独立新生インドの公用語にしようという運動をします。が、インドとパキスタンが分離独立し、それぞれ「ヒンディー語」「ウルドゥー語」を公用語に定めたため、今ではヒンドスターニー語という言葉は実質的に死語になっています。



  6. ウルドゥー語はパキスタンの国語だから、インド西部の方言ではないのですか?
     上述のように違います。インドのデリー地方を故郷とする言語です。
     逆に、現在のパキスタンにあたる地方は、ウルドゥー語の故郷からすれば辺境地帯であり、そこではシンディー語、パンジャービー語、パローチ語、パシュトー語などがもともと話されており、ウルドゥー語を母語とする人は非常に少なかったのですが、上述のようにウルドゥー語が「イスラム教徒の言葉」という意味合いを持ったので、イスラム教を国是とするパキスタンでは、ウルドゥー語が国語と規定され、ウルドゥー語の普及がはかられています。
     その結果としてパキスタンでは、ウルドゥー語を母語としていない人でも、ほとんどの人がウルドゥー語を話せるのですが、今でもやっぱりウルドゥー語を母語とする人は、パキスタンの全人口の8%くらいでしかなく、しかもその多くは、インド・パキスタン分離独立時にパキスタンに移住してきた、インドのイスラム教徒だったりします。彼らはもとからすむ人々の生活を圧迫したので、特に彼らが多数流れ込んできたカラチを含むシンド州では、これがためにウルドゥー語への強い反感があったりします。
     この点で、中国大陸から移住してきた外省人が、もとから台湾に住む本省人を圧迫し、本省人にとっては外国語同様である北京語を国語として普及させてきた、台湾の言語状況とかなり似ていると思います。
     私は、インドとパキスタンが分離独立して、ウルドゥー語がパキスタンの国語になったことは、逆にウルドゥー語にとって不幸なのではないかと思います。パキスタンでも徐々にウルドゥー語以外の各地域の民衆語が見直される一方で、インドでは、イスラム教徒の言葉であるウルドゥー語は少数言語に転落してしまったのですから、ウルドゥー語の重要性は、英国植民地時代に比べて低下していったとすら言えるかもしれません。



  7. ウルドゥ、ヒンディと書いてはダメ?
     理系、特にコンピュータ用語の世界では、末尾の「ー」を省略する傾向がありますが、ウルドゥー語もヒンディー語も末尾は長母音であり、しかも長母音であることが文法的に意味を持っているので、「ー」を省略すべきではありません。しかし私もときどきうっかり「ー」を書かなかったりすることがあります。



  8. ウルドゥー語とヒンディー語の文字のしくみを簡単に教えてください。
     ウルドゥー語に用いられるアラビア文字は、右から左に書かれます。英語の筆記体のように語を続けて書くのが特徴です。ですから各文字は、語頭、語中、語末でやや形を変えます。
     アラビア文字の最大の特徴は、原則として子音しか表記しないことです。長母音は子音字の一部の文字を長母音文字として用いるので表せるのですが、短母音は子音字への付加記号としてしか表記されず、しかもこの付加記号は、日本語でいえばフリガナみたいなもので、よっぽど正確に発音を示したいとき(子供向けの本、辞書、コーランなど。また母音記号がないと同じスペルになってしまうものを区別したいときなど)一般の出版物では省略されてしまいます。ですから未知の語の綴りだけを見たのでは発音がわかりません。一語一語の発音を正確に覚えておく必要があります。
     ヒンディー語に用いられるデーヴァナーガリー文字は、ウルドゥー語のアラビア文字とは逆に、左から右に書きます。どの文字にも上部にシロレーカーという横線があり、一語の中ではこの線がつながるので、非常に印象的です。「子供たちが鉄棒にぶらさがっているようだ」という人もいます。デーヴァナーガリー文字はヒンディー語だけでなく、マラーティー語、ネパール語など他の現代語、そしてサンスクリットのような古典語の表記にも用いられる、インドで一番使われている文字です。
     デーヴァナーガリー文字はひらがな・カタカナのような音節文字であり、原則として「子音+母音」の組み合わせで1字になります。子音のみを表す文字はなく(母音のみの文字はある)、すべての子音文字は母音を含んでいます。この母音を別のものにしたいときに独特の記号をつけるという方式です。どうしても子音のみを表したいときは、子音のみだよという特別の記号をつけるか、次に来る子音(子音のみということは、語末でなければ、次の音は子音のはずです)とくっつけて無理やり一字にしたような「結合子音字」を用います。
     ただし、現代ヒンディー語では、子音文字に含まれた母音が一定の法則で省略されてしまいます。たとえば語末の子音文字は、音をつけず、単に子音のみになります。この現象は非常に規則的に起こるので、最初は戸惑いますが、なれてしまえば問題ありません。
     ごく一部の語を除いて、つづりと発音の間にはズレはなく、書かれているとおりに読めばOKです。このため、多くのヒンディー語の辞書には発音表記はありません。逆に書くときには、子音のみを表す場合に、を含めた文字をそのまま書くか結合子音字を使うかというバリエーションができてしまうので、つづりは正確に覚えておく必要があります。



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