「はじめに」への補講

サンスクリットの勉強にあたって


 荻原雲来大先生の名著『実習梵語学』を精読すれば、 サンスクリットの学力は必ずつくはずですが、 やはり教科書というのは読みにくいものです (あまりに読みやすいと教師の出番が不要になって教科書にならない)。
 そこで不肖まんどぅーかが、随所に補講を入れていくことにします。 本編とあわせてお読みください。
 とりあえず「はじめに」への補講では、 これからの勉強の過程でぜひすべきこと(裏返せば、してはいけないこと)をまとめておくことにします。
  1. 興味のない分野の例文が続いてもガマンせよ
     日本でサンスクリットを勉強しようという人の動機は、 ほとんどが仏典への関心からだと思うんですが、 入門段階の例文には仏典がほとんど出てきません。 それは、仏典に用いられているサンスクリットが、 俗語や方言などの要素がまじり、 いろいろな点で標準的サンスクリットとは異なる、 いわゆる「仏教混淆サンスクリット」だからです。
     では最初から、 その仏教混淆サンスクリットを勉強すればいいじゃないかと思うかもしれませんが、 ブロークンなものを覚えるにはまず標準を覚えるべきなのです。 最初からブロークンなものを覚えようとすると、 ブロークンなだけに「ああも言う、こうも言う」と、 さまざまな言い方が共存していたりするので、わけがわからなくなってしまいます。 パーリ語がそのいい例です。
     また、哲学的な文章というのは表面上の意味が通じなくても、 なんとなくわかったような気になってしまうので、 誤訳に気づきにくいということがあります。 これが説話であれば、意味がとれなければ誤訳だなということがハッキリわかります。
     そんなわけで、仏教者の立場からすれば、 最初のころは、子供むけのような説話ばかり、 ヒンドゥー教、バラモン教のような外道の話ばかり読まされることになり、 あんまり興味がわかないかもしれませんが、ここはぐっとこらえてください。

  2. デーヴァナーガリーには手を出すな
     サンスクリットを表記するのにインドでは一般的にデーヴァナーガリーが使われていますが、 入門段階ではデーヴァナーガリーに手を出すべきではありません。 まずはローマ字で勉強しましょう。
     その理由は、単に字形が日本人になじみがないというだけではありません。 朝鮮語ならば、どんなにハングルの字形になじみがなくても、 入門段階からハングルを覚えて、ハングルで勉強すべきです。 それは、ハングルこそが朝鮮語を表記するのに実にうまくできている文字であり、 ローマ字など他の文字は朝鮮語を表記するのに向いていないからです。
     サンスクリットの入門段階でデーヴァナーガリーを使わないのは、 スバリ、実はデーヴァナーガリーがサンスクリットの表記に向いていないからであり、 ローマ字のほうがはるかに向いているからなんです。
     どう向いていないかは理由は次項の補講で再度詳しく述べますが、 簡潔に言えば、 デーヴァナーガリーは音節文字なので、 サンスクリットの音節のように子音と母音が複雑に結びつくものを表現するのに向いておらず、 語形変化表を書くとぐちゃぐちゃしてよくわからないし、 なにより困るのは、単語と単語の間の分かち書きが不完全になってしまうということです。 ある程度の学力がつけば、分かち書きされていないものを切り分けていくのは特に難しくはありませんが、 入門者にこれをやれというのは無理です。
     外国語を勉強するのにその言語の文字を用いないのはおかしい、と思うかもしれませんが、 ローマ字だって立派なサンスクリットを表す文字だと思ってください。

  3. 変化表を無理に覚えようとするな
     入門段階ではこれでもかこれでもかと変化表が出てきます。 頭の柔らかい少年時代ならすんなり覚えられるのかもしれませんが、 頭の固くなった大人はこれを覚えるのは無理です。 まずは練習問題に体当たりすることです。 たとえばで終わる名詞の変化なんてイヤになるほど出てきますので、 問題量をこなせばイヤでもこの表は自然と覚えてしまいます。 わからないことが出てきたら、文法書を調べればいいのです。 文章を読むときにひく(調べる)のは辞書(語彙集)だけでなく、 文法書もひけばいいのです。
     ただし、文法書をひくためには、 文法書のどこに何が書いてあるかを知らなければいけません。 だから文法を勉強するときには、 それぞれの変化表の性質を覚えていけばいいのです。 つまり、で終わる名詞を見かけたら、この表を見ればいいんだな、 ということだけを覚えて行くわけです。

  4. 変化表を自分で作ってみる
     その一方で、変化表を手で書き写してみるというのを強力にお勧めします。 そうすると変化の仕組みがよくわかってくるので、 表を覚えるには至らなくても、「こういう形ならたぶんコレだろう」と、 後で表を調べるときにカンがついてきます。
     ゴンダ文法など初等文法書の多くは、 変化表の一部を省略したり、 表にせずにダラダラと文の形で語形変化を書いていてたりしますが、 これは単にスペースの節約のためだけではありません。 省略しているところを補ったりしながら、 入門者に完全な表の形で書き写させることを考えているんだと思います。 私もこのサイトの変化表を作るにあたり、 イヤでもこの作業をしなければならなかったのですが、 そのためにかなり力がついた気がします。 逆に、読みやすい完全な変化表を載せているというのは、 教育上はよろしくないのかもしれません。
     ぜひ入門者のみなさんは、 自らの手で表を書くようにしてください。 当サイトの変化表は答えの確認用に使ってください。

  5. 辞書はとりあえず不要
     初等文法を終えるまで、つまり、 少なくとも当サイトの「文法概説」を全部読み終え、 「リーディング」のいくつかをトライしてほぼ読解できる自信がつくまでは、 辞書は不要です。 買ってもまず目的の単語をひくことすらできないでしょう。 さしあたりは初等文法書の巻末の語彙集、または当サイトの語彙集を利用してください。